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『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』アドラー心理学は人生を照らす

アドラー心理学は人生観を揺さぶるような、ハッと目が覚めるような気づきを与えてくれます。今の時代だからこそ心に響くエッセンスが詰まっています。

『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』からアドラー心理学についてまとめていきます。

原因論から目的論へ

「すべての結果には必ず原因がある」。アドラはーこの考え方を否定します。過去の原因によって運命は決まらない、というスタンスに立つんですね。アドラーは、原因ではなくて目的を考えていきます。

目的論とは、目的は自分の人生をつくっていく、未来は自分で決めていけるとする考え方。

本書では、引きこもっている人を例にしています。原因論だと、不安だという原因があって、外に出られないとしています。アドラー心理学では、まったく逆だとします。外に出たくないという目的があって、不安という感情を作り出しているというのです。

世界は複雑なのではなくて、自分が世界を複雑にしている。人は客観的な世界ではなく、主観的な世界に住んでいるのです。だからトラウマも否定しているのです。

人は、自分が意味づけしている世界に住んでいる。人生はあなたが決めている。

すべての人間の悩みは対人関係である

アドラー心理学では、個人で完結する内面の悩みは存在せず、「すべての人間の悩みは対人関係である」と指摘しています。

「宇宙に他者がいなくなり、自分一人になれば、あらゆる悩みも消え去るだろう」。これは真理かもしれません。会社でも家庭でも人間関係がストレスになるわけです。

そして、自分が世界の中心にいると考えるのではなく、ワンオブゼムだと考える必要があると説きます。

例えば、子供にモノを与えずぎて甘やかすと、他人に依存する人間になってしまう。他人がなにをしてくれるのかを考えるので、いざ選ばれないとなると癇癪を起こすというのです。自分では判断できなくなる状態ですね。

人生のタスクとは

アドラー心理学の目標は明確です。

行動面の目標は「自立すること」「社会と調和して暮らせること」

心理面の目標が「わたしには能力がある」「人々はわたしの仲間である」という意識。

優越性の欲求

人間の普遍的な欲求が「優越性の追求」です。アドラーは、人間には2つのコンプレックスが生まれるとします。

1つ目は「劣等コンプレックス」です。これにより劣等感が出てきて、競争意識が生まれやすくなります。例えばモテないのは顔のせいだと思っている青年は、劣等コンプレックスに支配されています。顔のせいではなくもしかしたら性格のせいかもしれない。

劣等感を他者との関係ではなく、自分のことだと考えることで、劣等感をプラスに変換できる可能性が出てきます。

もう1つが「優越コンプレックス」です。実際よりも優れているように見せる、他者からどう見られているのか、周りを蔑む、不幸自慢など。劣等コンプレックスと表裏一体といえるでしょう。

いずれにしても、現実を受け入れないといけないわけですね。

他者と関係を持つことは人間は不可欠なので、そこで勇気が必要になります。ありのままの自分から始めようとすること。ライバルと比較するのではなく、自分の励みとなります。その人と自分が違うことは仕方ない。上を目指すのではなく、平面を歩いていると考えていければいい、というわけです。

対人関係のスタート 課題の分離

承認欲求が強いと、それだけで問題が起こってきます。課題の分離をすべき。それは誰の課題なのかを考える必要があります。わかりやすいのは子育てで、親の課題ではない、子供の課題なのです。

あらゆる人間関係の問題は、他人の課題に土足で踏み込むことから起こると、アドラーは言います。課題の分離は最終目標ではなく、人間関係の始まり。放任主義ではなく、継続して見守ることが求められるのですね。

他者に嫌われないようにするには?

常に他者の顔色を窺って忠誠を誓っていないでしょうか。この状態に陥ると、自分に嘘をつき、周囲の人々にも嘘をつき続けることになります。

自由とは、他者から嫌われること。そうしなければ、自分の生き方を貫くことはできないのです。

これは、承認欲求の問題も関係しています。

人は、他人から嫌われないように、他人の期待に応えようとするから不自由になるのです。しかし私たちは他人の期待を満たすために生きているのではありません。人から嫌われる勇気を持つことにより、自由に生きられるのです。

他人の顔色をうかがうと、他人の人生を生きることになってしまいます。

ではどうすれば、他人の期待に縛られなくても孤立せずにすむのでしょうか?

アドラー心理学のコアなところへと潜っていきましょう。

対人関係のゴールは共同体感覚を持つこと

対人関係のゴールは共同体感覚を持つこと。この共同体感覚、わかるようで理解しづらいところがありますが、すなわち縦ではなく、横の関係で考えるようになることで、居場所を感じられるようになるわけです。

所属する家族、社会、国家での居場所になっていること。

さらに人生の意味は「全体への貢献」だと断言します。

そのために

  • 自己受容 できない自分も受け入れる
  • 他者信頼 他者を信じることに一切の条件を付けない
  • 他者貢献 私が他者になにをできるかを考える

この3つがセットになります。

例えば皿洗い。妻に褒められることが目的ではなく、家族に何ができるかを考えて実践すればいい。

幸福というのも、この貢献感なのです。それは他者が決めることではありません。自分が決めること。

人生とは連続する刹那。我々はいまここを生きることしかできない。ダンスを踊る。目的などはない。いまここを必死に生きること、それ自体がダンスになる。登山のように頂上があるわけではないんですね。

だから、人生が終わったとしてもそれは不幸ではない。人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。

一般的な人生の意味はないのです。人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ。あなた自身が決めるもの。

他者貢献するのだ、という導きの星さえ見失わければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわないのです。

幸せになる勇気

この2冊目は実践編とも言える内容。アドラー心理学を理論で学んだあとに、教師として現場に出た青年が再び哲人と対話していく構成になっています。さらに深みを増している内容になっています。

教育とは自立をサポートすること

なぜ教育をするのか?アドラー心理学では「自立をサポートすること」と定義しています。

人間が人間として幸福に生きるための「知」が含まれる。わたしを知り、あなたを知ること。こうした知のことを「人間知」と呼んでいます。

自立を進める入り口になるのが尊敬である

自立を促進するためには「尊敬」がカギを握ります。他人の問題に介入することは教育ではなく、教育の入り口となるのが「尊敬」になります。

尊敬とは、一般的に使われる「人を敬う」尊敬ではなく、人間の姿をありのままに見ること。これが尊敬です。独裁的に支配して従っているように見えていても、尊敬は生まれません。

尊敬とは、その人が、その人とらしく成長発展していけるよう、気づかうことである

また、無意識に他人を評価したら、「課題の分離」ができていないわけです。

なにひとつ否定せず、なにひとつ強要せず、ありのままの「その人らしさ」を受け入れ、尊重する。つまり、相手の尊厳を守りつつ、関心を寄せていく

課題の分離をして、相手を尊敬する。それが入口なんですね。

この次に共同体感覚があります。共同体感覚になるためには、「他者の関心ごとに」に関心を寄せること。そうすれば、共同体感覚に到達すると、アドラーは言っています。「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?」と考えるというわけです。

『他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる』のです

『自分の人生は、日々の行いはすべて自分で決定するものなのだということを教えること。そして決めるにあたって必要な材料ーたとえば知識や経験ーがあれば、それを提供していくこと』です。

心の三角柱

心の三角柱は、われわれの心を表します。

一面には悪いあの人
二面にはかわいそうなわたし
隠されているもう一つの面には「これからどうするのか」

ここに注目することで人間関係が変わっていきますよね。

なぜ賞罰を否定するのか

アドラーは賞罰を否定しています。「叱ってはいけない、褒めてもいけない」のです。

叱るうえで最悪なのは、暴力で、どこまでのコストの低い、安直なコミュニケーションだと断定しています。

反対に褒めることも禁じているのはなぜでしょうか?

褒めるとは「能力のある人が、能力のない人に下す評価」となんですね。目的は操作であって、一定の方向へ導こうとしています。

褒められることを目的とした人たちが集まると、その共同体には「競争」が生まれるのです。

アドラー心理学では、人間には共同体感覚があると定義されているのは前述した通りです。この共同体に所属したいという欲求が生まれる。

さらに所属感を求めて、人間は問題行動を起こします。問題行動は、5段階に分けられます。

第1段階 称賛の欲求
第2段階 注目喚起
第3段階 権力争い
第4段階 復讐
第5段階 無能の証明

なによりも、自分の人生は、日々の行いはすべて自分で決定するものなのだということを教えるべきなのです。そして決めるにあたって必要な材料、たとえば知識や経験を提供していく。子供のたちの決断を尊重して見守るイメージですね。いつでも援助できる距離感で。

競争原理か協力原理へ

賞罰をやめて競争原理をなくしていくことで、縦の関係ではなく、横の関係にしていける可能性が出てきます。

人間には元にたどったら協力原理があり、共同体感覚はすべての人間が備えているものだとしています。

共同体感覚とは身につけるものではなく、己のうちから掘り起こすもの。

「人間の悩みは、すべて対人関係である」と前作であったのですが、さらに1文が加わります。

「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」

幸福とは、貢献感なのですね。

人生3つのタスク

人生のタスクとは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つに分けられます。

1.仕事のタスク

人間は自然界で生き残るために、分業をしていったわけですね。他者とのつながりを前提とした分業。仕事とは、生存戦略なのです。

自分が得意なスキルを極めること、利己を極めることで、利他につながっていくわけです。自己を犠牲にする必要はありません。

人間の価値は、どんな仕事に従事するかによって決まるのではない。その仕事にどのような態度で取り組むかによって決まるとしています。

能力だけだとリプレイスできてしまうのですね。むしろ「この人と一緒に働きたいか?」が大切になってくる。最大の要因は、その人の誠実さであり。仕事に取り組む態度なのだというのは、今この瞬間をがんばると思わせてくれる言葉になります。

2.交友のタスク

交友のタスクについては、友人の数ではなく、距離と深さだとしています。

3.愛のタスク

恋愛関係、親子関係のことになります。

信用か信頼か

信用と信頼には、大きな違いがあります。

仕事の関係とは、なんらかの利害関係のある「信用」の関係。交友の関係とは、利害関係がなく、その人自身を信じている「信頼」の関係。

信頼するためには、その人自身を尊重し、尊敬しなければならない。だからこそ、仕事であってもより幸福感を得るためには、相手をまず信頼して、交友の関係にならなければならないということですね。所属感は交友がないと生まれない。仕事だけではNG。

わたしはあなたを信じ続ける。それが無条件の意味です。そして、ありままの自分を受け入れることができるか。

わかり合えない存在として、他者を信じること。それが信頼なのです。我々人間は、わかり合えない存在だからこそ、信じるしかないということです。

愛する人生を選べ

アドラーは愛にも言及しています。

愛とは「ふたりで成し遂げる課題」としています。課題に向き合うことで、人生の主語が「わたし」から「わたしたち」に変わります。つまり、「わたし」から脱却し、自分が共同体の一部であるという共同体感覚になることにつながるわけです。

さらにアドラーは、「運命の人」の存在を認めていません。
なぜなら、「愛する」ということは、愛する相手は関係ないから。「運命の人」を持ち出すことは、現実から逃げているだけ。運命とは、自分で作り出すしかないのです。

愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、生きているだけで貢献し合える関係を実感できるとしています。

別れるために出会っているとしたら…。

すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾けしかありません。だからこそ、いまここに生きるべきなのです。

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