樋口毅宏の『中野正彦の昭和九十二年』が回収騒動になっています。出版元のイースト・プレスが12月19日の発売日前に、回収を決定したんですね。
回収理由と、本書の内容についてしっかり解説していきたいと思います。
『中野正彦の昭和九十二年』の回収理由とは?
その内容の表現手法の個性から、出版にあたりしっかりとした社内議論が必要であると考えます。しかし、今回刊行に至るプロセスにおいて社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断を得ることを行っておりませんでした。
同時に刊行時においても契約書の締結が終了しておらず、刊行における責任の所在が曖昧だということが発覚しましたので、社内協議の上、回収対応といたしました。
要約すると、こういうことになるかと思います。
- 社内で確認すべき法的見解の精査をしていなかった
- 社の最終判断を得ることを行っていなかった
- 契約書の締結ができておらず、責任の所在が曖昧なままだった
- 編集担当者と上長に、社内決裁に対する認識の甘さと怠慢があった
現場の責任という話なのですが、どうなのでしょう。配本直前になっていますから、会社自体の問題な感じがしますが…。
『中野正彦の昭和九十二年』はどんな内容?
安倍晋三元首相を「お父様」と慕う中野正彦の日記という形式で綴られています。かなり偏った過激な右寄り思想の革命家気取りのテロリストが、一発逆転、国家転覆を目論みます。
昭和九十二年というパラレルワールドながら、出てくるのは実名ばかり。安倍晋三元首相だけではなく、さまざまな政治家の名前が出てきます。加計学園・森友学園疑惑、共謀罪成立といった時事ネタもバンバン出てくる。そして中野正彦は人種差別の塊であり、かなり嫌悪する表現も出てきます。
ただですね。これは反差別の本でもあるわけです。
徹底して差別主義者の思考を追うことで、その根幹を探っていく作業になっていると感じました。そして、なぜ右寄りの思想や施策が広がっていくことへの危機感も感じられます。
『中野正彦の昭和九十二年』は回収すべきだったのか?
物議を醸す内容ではあります。表現の自由を考えるとき、どこまで許容すべきなのか。
大手出版社が刊行をためらったそうなので、イースト・プレスがどこまでの覚悟で刊行を決めたのかは問われる問題。内部告発に近いそうですが、さまざまなところから横槍が入ったことも想像に難くありません。いずれにしても、実際に読んでみて、それぞれが考えてみたいと思える作品でした。
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