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『ふしぎなキリスト教』から世界最大宗教の正体を知る

キリスト教についての本として、抜群にエキサイティング!

本書は「キリスト教ユダヤ教の違いってなに?」「イエス・キリストって実際いたの?」といった、そもそもな疑問から話を展開してくれます。

宗教社会学者の橋爪大三郎さんに、思想家・大澤真幸さんが素朴な疑問をぶつけていて、対談形式なのも読みやすい。

いざ、キリスト教の「ふしぎ」をめぐる冒険へ!

ざっくり3行でまとめると…

  1. ユダヤ教キリスト教の違いは、イエス・キリストの存在
  2. キリスト教は二段ロケットのように、ユダヤ教を内包している
  3. イエス・キリストは預言者ではなく神の子である

キリスト教の特徴とは??

キリスト教を語る上では、ユダヤ教との違いを知っておく必要がありますが、橋爪さんはいきなりバッサリ。

ほとんど同じ、です。(橋爪大三郎

ここまで大胆な解釈、さすがです!

そしてキリスト教ユダヤ教のたった1つの違いとして、

イエス・キリストがいるかどうか。そこだけが違う、と考えてください。(橋爪大三郎

そう、イエス・キリストを挙げています。

ユダヤ教キリスト教も、一神教で同じ神・ヤハウェ(エホバともいう)を崇めています。違うのは神Godに対する接し方。

Godと人間は、直接コミュニケーションをとることはできません。そのため、間に預言者を挟みます。

キリスト教も同じだけれど、歴代預言者の締めくくりとしてイエス・キリストが現れたと解釈しているわけです。

つまり、イエス・キリストは預言者以上の存在なんですね。ここがユダヤ教と大きく違う点になります。

キリスト教徒にとって、イエス・キリストは神の子であり、イエス・キリストを崇めるということはGodを崇めることとイコールなのです。

さらに面白いのはキリスト教は、「二段ロケット構造」だとう点。キリスト教ユダヤ教を否定し乗り越えるものとして考えていますが、そのユダヤ教を自らに組み込んでいる。他宗教と比べても、かなり複雑で特殊な構造だと言えます。

神Godとは何者か?

Godは人間を創造したのですが、橋爪さんはGodをこう形容します。

これって、エイリアンみたいだと思う。だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えるかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。(橋爪大三郎

直接コミュニケーションは取れない存在。だから預言者を通して、教えてもらうということなんですね。「Godは怖い」存在で、馴れ馴れしくしてはいけない。

ここに大転換を起こしたのがイエス・キリストで、愛を述べて神とのよそよそしさを解消していきます。だけど、その前はかなり緊張関係があったということは、把握しておかないといけないわけです。

ユダヤ教とは何か?

キリスト教の原型とも言えるユダヤ教とは何か?

ユダヤ人は、エジプトとメソポタミアの両大国に挟まれた弱小民族。ヤハウェシナイ半島あたりで信じられていた破壊・怒りの神様。イスラエルは周辺民族と戦争しなければならない状態だったため、ヤハウェを信じるようになりました。

そこからユダヤ人は苦難の歴史を歩むわけですが、大澤さんはなぜGodを信じ続けるのか?ズバッと切り込みます。

安全保障のために契約した神がちっとも安全を守ってくれなかったのに、なぜ信仰がいささかも衰えなかったんでしょう?(大澤真幸

シンプルな質問ながら核心を突いている。質問の立て方に鋭さがあるのが、本書の面白さであり真骨頂。

橋爪さんは、神から試練を与えられていて、試されると感じているからと回答します。ここに疑いを向けると一神教が成り立たないわけですね。

神とのコミュニケーション方法は?

人間同士のコミュニケーションは互いに分かり合えることだけど、一神教の神とのコミュニケーションは、不可解ということをそのまま受け入れることが神との正しい関係になります。

Godとの不断のコミュニケーションを祈りという。(橋爪大三郎

そもそも神とコミュニケーションを取ろうとする行為自体が一神教の特徴です。

多神教だといろんな神がいるから、世界全体の責任者はいない。一神教だと、責任者が明確にいるってことです。

  • 多神教=自然現象の背後にそれぞれの神がいると考える
  • 一神教=この世界の出来事の背後に責任者がいる

だからGodとの対話が成り立つ。でも直接コミュニケーションはできない。これが一神教の特徴なんですね。

一神教多神教の違いとは?

さて、一神教多神教との違いにもう少し迫ってみます。

多神教って、日本人独特と思われがちな気はしますが、元来人類が持っていた考え方。

伝統社会の多神教は自然と調和していました。狩猟採集民族であれば、食べ物がある!神の恵みだ!という流れになるのは自然で、それぞれの神が存在していたと考えていたわけですね。

それが異民族の侵入や戦争などによって社会が壊れてしまい、手近な神には頼らなくなる。これが宗教が登場してくる時代背景です。

一神教、仏教、儒教は、共通点がある。それは、もう手近な神には頼らないという点。神々を否定している点です。(橋爪大三郎

複数形の「神々」では、自分を守ってくれない。仏教も儒教も同じ考えの上に成り立っています。

  • 仏教:神々よりも偉大なブッダがいる。真理を覚ったから。人間がその能力を最大限に発揮して、この宇宙の真理を極めたから。神は悟っていないから価値は低い。
  • 儒教:政治家のリーダーシップを重視する。神々はいなくなり天だけが残った。

日本は多神教の考えが続いているけれど、かなり幸運なケースなんですね。

神々は放逐された。だから、仏教、儒教一神教がある。世界の標準はこっちです。世界は一度壊れた。そして、再建された。再建したのは、宗教です。それが文明をつくり、いまの世界をつくった。こう考えてください。(橋爪大三郎

イエス・キリストとは何者か?

さて、ユダヤ教キリスト教の違いが、イエス・キリストがいるかどうかでした。ならば、イエス・キリストとは何かを突き詰めないといけません。

まず、キリスト教が成立したのはいつか?

キリスト教には4つの福音書があります。これはそれぞれ書いている人が違っていて、イエス・キリストという人物への証言集となります。福音書キリスト教が成立した後に聖書に選ばれています。

キリスト教が成立したのは、パウロという人物の書簡によるんですね。

パウロユダヤ教から回心した人物で、12人の弟子でもないのですが、イエスが十字架の受難を意味付ける教理を考えた人物です。これにより、ユダヤ教の枠に収まらないキリスト教が成立しました。

イエス・キリストは教祖ではありません。

エスは「解釈者」だけれど、自分のアイデアで何かを作り出している意識は希薄だったんじゃいか。(橋爪大三郎

イエス・キリストは、旧約聖書の解釈をしていただけ。イエスの運動は新たな宗教を生み出そうとするものではなく、あくまでユダヤ教内での革新運動だったということですね。

イエス・キリストの死後にさまざまな解釈がされていった。橋爪さんは、イエス・キリストを「マトリョーシカ」に例えていてこれが分かりやすい。実在したイエス・キリストがいる。その外側にどんどん解釈が付け足されていって、肥大化していたというわけです。

そして、イエス・キリストは前述した通り、預言者とも違います。

親と分離している。独立した人格だけれど神の意志と合致している。つまりこれは神の意志とも言える。(橋爪大三郎

イエス・キリストという独特な存在が、キリスト教のふしぎさを象徴しています。

キリスト教はいかに西洋を作ったのか?

そして本書は最後にキリスト教がいかに西洋を作ったかという大テーマに挑みます。

キリスト教は、ローマのコンスタンティヌス帝が313年に公認し、392年にテオドシウス帝が国教化して大きく飛躍していきました。

キリスト教が爆発的に広まったのは、国のバックアップがあったからというのは正しいですが、それだけはないようです。

橋爪さんは、キリスト教の一貫性のなさが浸透した理由としています。キリスト教イスラム教を比べると、イスラム教の方が明確です。

最も根本的なところで、いちばん大事な点を取り出すとすれば、それはキリスト教徒が自由に法律をつくれる点だと思う。

キリスト教は法律を作ることができないんですね。法律は神が作るものだから。これは裏を返すと、キリスト教を受けれ入れた社会では、自由に律法できることになります。

社会の近代化のためには律法が必須。イスラム教だとイスラム教の法律に従う必要があるけれど、キリスト教は法律がそもそも存在しないというわけです。

解説・三位一体説とは?

また用語解説も噛み砕いてくれます。

よく聞くけどイマイチ解釈しきれない「三位一体説」。これは「神」「キリスト」「精霊」があるけれど、この3つは一体だというもの。

イエス・キリストの後は、もう預言者が現れることはできない。預言者は、イエス・キリストの出現を預言していたわけです。

そうして取り残された人々と神との、唯一の連絡手段が、聖霊です。(橋爪大三郎

エスキリストについての解釈が、聖霊の権威によって聖書に組み込まれているところが、新約聖書の特徴となります。

解説・カトリックプロテスタントの違いとは?

キリスト教は、東方教会ギリシア正教)と西方教会ローマ・カトリック)に分かれていきます。ちなみに2つに分裂したのはスポンサーであるローマ帝国がテオドシウス帝の死後、東西に分裂したから。

プロテスタントは、宗教改革は神からのものと人間のものを分ける。それによって神と人間との関係を正しくすること。神→聖書→人間の関係以外のものは認めない。だからカトリックの聖職者やミサなどはもちろん、教会すらなくても良いものと考えていた。すごくシンプルな考え方です。

おすすめ度9 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆★

あまたのキリスト教本の中で、本書はかなり独特だと言えます。キリスト教徒が解説するか、客観的に解説するかが多い。それだけに本書の価値があるんだなと思います。一般的な視点に立って、深く切り込んでいくスタイルで、かゆいところに手が届く質問が気持ちいい一冊。

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