この本、本当にすばらしいなと。読んでいるとき、鳥肌が立つくらいに感銘を受けました。
何をそんなに興奮しているのかというと、哲学入門の本は何冊か読んできたんですけど、哲学をですね、ここまで平易にそして深く書いている本は出会ったことがなかったんですね。
本書の特徴はもちろんバキ要素なんです。バキはご存知、板垣恵介の格闘マンガで、東京ドームの地下にある格闘技場に歴戦のツワモノが集まる。そこで世界一強いものを決めるという内容です。
これをモチーフに、本書は哲学者たちのバトルが繰り広げられていきます。
バキ要素はバキ要素で楽しいし、発想がステキなんですが、やっぱり本書の本当のすごさは「テキスト」にあると思います。
著者は飲茶さん、哲学者たちの考えをまとめるのがうまい。本当にうまい。わかりやすく、さらに面白く解説してくれるんです。
有名な井上ひさしの言葉「むずしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」を体現されているなぁと。わかりやすく書くって、圧倒的な知識量が必要で、ましてや哲学という難解なものを、日本語で解釈していくのは至難の技。
本書はスラスラ読めるし、哲学って人類史とともに、当時の人たちが思考を深めていった過程を追うことだということも分かります。哲学書として超一級品!
第1ラウンド 真理の真理
さて本書は全4ラウンドで構成されているのが、第1ラウンドは「真理の真理」です。それぞれの哲学者の考えを、本書をベースにして自分なりの解釈も入れながらまとめていこうと思います。
プロタゴス
紀元前、それぞれが信じている神話があった。農耕時代になり他の都市国家との交流が盛んになってから、それぞれの国で神話が違うことに気づく。
あれ? 神話って全部ウソなのでは…?
これがきっかけで人や場所や時代で、正しいことが変わるという相対主義が生まれてきた。紀元前から相対的な考えがあったことに驚きでした。勝手に神話を信じ切って人の意見を尊重しない傲慢な人々という、ホント酷いイメージでした…。
プロタゴスは「人間は万物の尺度である」と唱えたんですね。これは例えばコップの中に「冷たい水」が入っていたとする。でも冷たいと断言できないよという話。めちゃくちゃ寒いところにいる人が、コップの水に手を入れたら、あたたか〜いと感じる。だから冷たいか、あたたかいかを感じるのも人それぞれだよってこと。これが相対主義的な考えというわけです。
ソクラテス
哲学界の超有名人ソクラテスです!
プロタゴスが唱えた相対主義はマイナス点もあって、何事も決められないから適当でいいよ、という考えに陥りやすくなる。そこで鉄槌を下したのがソクラテスだった。ソクラテスは絶対的な価値・真理があると信じていたんですね。
「無知の知」。まずは知らないことを知ることから、真理へたどり着くことができる。知らないから、真理を知りたいという情熱を持てるというわけ。相対主義者をどんどん論争をしかけて、政治家たちを追い詰めていきます。
そして最終的には若者を堕落させた罪を問われる。ソクラテスは自ら毒杯を手に取り飲み干した。真理を追い求めた姿に共感した若者たちがいて、ソクラテスの意志は受け継がれたのだった。自分の信念を体現する。言動が一致していて、だからこそその意志が後世に残っていく。めちゃくちゃカッコよくないですか!?
デカルト
- 1596年〜1650年
- 出身地:フランス
- 得意技:方法的懐疑
中世に入りキリスト教が力を持ったが、ルネッサンスや宗教改革が起こって、科学や数学などの学問が発展していく。信仰を重視する時代から理性を重視する時代への転換期にあらわれたのがデカルト。
デカルトは理詰めの人だったみたいです。哲学も数学と同様に体系化できると信じていた。誰もが正しいと認めざるを得ない第一原理を見つけることから、哲学も出発しなければならない。それを見つけるために、デカルトはあらゆるものを疑って疑いまくることにした。疑っても疑いきれないものが真理の条件。そこでデカルトはこの世のすべてを疑っても、「疑っている私」がいることだけは疑うことができない。「我思う、ゆえに我あり」という言葉に集約されているんですね。
ヒューム
- 1711年〜1776年
- 出身地:イギリス
- 得意技:懐疑論
デカルトは哲学の第一原理になりうる考えに至ったが、そこから先の理屈が甘かった。デカルトは私の存在は確実なのだから、私が理解したものや認識したものも確実に存在するとした。神様まで持ち出してきた。
デカルトへの批判からイギリス経験論が生まれます。経験論とは「人間の中に浮かぶ知識や観念は、すべて経験から来たものにすぎない」という考え方のこと。デカルトのいう「私」も、さまざまな知覚の集まりにすぎないと論破する。私の認識も、すべて経験によって形づくられているので、本当の現実と一致しているかは保証されない。
ヒュームがすごいのはここからで、神への懐疑にも目を向けました。人間は過去の経験の組み合わせ(複合概念)でしか想像できないとして、ペガサスなどと同様に髪も複合概念に過ぎないとした。科学にも矛先を向け、例えば火が熱いことにしても、それはなんの因果関係もないとした。人間の思い込みであり、もしかしたら他の物理現象エックスが働いていることで火が熱いかもしれない。ここに西洋哲学の経験論は完成にいたったわけです。
カント
- 1724年〜1804年
- 出身地:ドイツ
- 得意技:批判哲学
ヒュームの経験論を真っ向から受け止めて、カントは経験の内容は人それぞれだけど経験の受け取り方には人類共通の一定の形式があるとした。人間として普遍的な真理・学問がそこにあるはず!
「人間はモノ自体には到達できない」。モノ自体とは生物人間固有の形式によって経験される前の本当の世界のモノのこと。そのことは忘れて良くて、人間の形式に変換された後の世界を論じようと訴えた。ここから人知を超えた真理を求めるというロマンのある話から、人間にとっての真理を求める現実的な方向へと、転換していきます。
ヘーゲル
近代哲学を完成させたと言われる大哲学者。ヘーゲルは弁証法という手法によって、多くの人の手で長い時間をかけて真理にたどり着くものだとした。
弁証法とは「対立する考えをぶつけ合わせ、闘争させることによって、物事を発展させていくやり方」のことですね。例えば「あれ丸いよね」と誰かが言って、「もう1人がなに言ってるの?四角だよ」と言ったとする。論争をすることで、実は円柱だったことが発覚するという考え方。闘争を繰り返すことが、究極的な真理にたどり着けるとしました。
キルケゴール
ヘーゲルに反論。それって真理がいつか見つかるよね、と言っているにすぎない。今を生きている我々には意味ないでしょ、と指摘した。「今日真理が得られるなら明日はいらない!」。キルケゴール、かっこいいです。
サルトル
- 1905年〜1980年
- 出身地:フランス
- 得意技:アンガージュマン
サルトルはヘーゲルとキルケゴールの対立について、究極の真理を求める歴史の進展を僕たちの手で進めようと、若者たちを鼓舞した。
「人間は自由の刑に処せられている」。自由とは何が正しいのか分からないのに「好きにしろ」と放り出されてしまった不安定な状態のことである。選択の自由があり、未来に何が起きても自分の責任になる。そこでサルトルはだからこそ人間は歴史に参加すべきだとする。アンガージュマンですね。自由の刑という呪いを背負いながらも、自ら決断して強く生きていくことを推奨しました。
レヴィ・ストロース
- 1908年〜2009年
- 出身地:フランス
- 得意技:構造主義
サルトルが言う人類が目指すべき歴史なんて本当にあるのか?と、レヴィ・ストロースは問いかけました。レヴィ・ストロースはもともと人類学者で未開の地の民族と言われる人々に接してきたんですね。そこで気づいてしまった、彼らは合理的な深遠な社会システムを構築していることに。
当時の西洋人は人類の歴史はたった1つのゴールに向かって進んでいると思い込んでいた。それはただの勘違いにすぎない。西洋は事細かく年表に歴史を刻もうとする。一方東洋は輪として歴史を見ているので、それほど歴史の出来事の記録を重視しない傾向がある。この違いは面白いなと。
デューイ
歴史はより良い未来に進むはずだった。第二次世界大戦などで人類は暗黒の歴史を刻んでしまった。人間の理性がすばらしいと主張するものはいなくなり、現代哲学の時代が始まる。信仰によって真理に到達する「中世哲学」への批判から生まれたのが「近代哲学」。理性によって真理に到達しようと考えた「近代哲学」への批判から生まれたのが「現代哲学」となる。
そんな中、プラグマティズム(実用主義)が現れます。本質を考えても答えが出ないなら、その効果は何か?という実用的なことだけ考えてみようと提案した。デューイは、自らの思想を道具主義と呼んだ。人間の思考理性とは生きるための道具にすぎない。例えば、人を殺したらなぜ悪いのか? それは社会的に困るから。殺してはダメと洗脳することで全員が安心して生きることができるだけ。有用性があればウソであろうと真実になるという考え。
デリダ
デリダは西洋文明を音声中心主義として批判しました。話し手を大事にする文化。そこで読み手中心主義を提唱した。話し手中心だと唯一絶対の解釈がありそうだけれどそれはどこまで言っても分からない。ならば読み手の解釈が正解だとした。書かれた文章、話された言葉だけでは、話し手の意図にたどり着けないという考えが根底にあります。
レヴィナス
ユダヤ人であり迫害にあった。明日、突然自分がいなくなっても世界は続く。その恐怖をイリヤと名付けた。世界は他者であふれている。ここで言う他者とは、理解できない何か。真理を追求しようとすると、必ず他者が立ちはだかる。
第1ラウンドまとめ
さて、飲茶さんの第1ラウンドの考察は主に3点。
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真理を求める闘争は致命的
兵器が発達して、闘争を起こせば人類が消滅するような時代。絶対的に真理を求めて戦争は続いている。そこで現代は相対主義を推奨せざるを得ない。 -
あらゆる学問での限界点発見
絶対的な真理の探求に挫折したのは哲学だけではない。科学や数学も敗北した。物理学の不確定性原理の発見、数学の不完全性定理の発見がそれに当たる。 -
他者に見出す可能性
他者は真理を妨げるだけではない。希望であり無限の可能性だ。世界は、本当はどうなっていのだろう? 他者があるからこそ、真理を求める熱い思いが原動力となるのではないだろうか。
第2ラウンド 国家の真理
続いては国家の真理。国家とは何かも紀元前からの主要なテーマだったんですね。
プラトン
イデア論とは? 厳密で完璧な三角形なんて僕たちは一度も見ることはできない。だけどそれを認識しているのはなぜか? プラトンは現実とは違う別世界に本当に存在すると考えた。究極の理想の存在をイデアと名付けた。ソクラテスの死を目にし、哲人王を育てることを決意し、アカデメイアを作りました。
アリストテレス
- 紀元前384年〜紀元前322年
- 出身地:ギリシャ
- 得意技:論理学
イデアって本当にあるのか? あったとしても役にたつの? イデアは複雑になるだけで、よく観察すればいいだけ。プラトンの弟子でありながら、アリストテレスはイデア論に疑問を投げかけました。馬のイデアを考えるより、馬の特徴を観察することが大事。あらゆるものを観察した。天文学、気象学、動物学、植物学、地学などはアリストテレスから始まっており、アリストテレスが万学の祖と呼ばれている理由。
政治体制については3つあると整理します。1.君主制、2貴族制、3民主制。しかもそれぞれの腐敗点もまとめている。君主制は独裁になりやすく、貴族制は寡頭制になりやすく、民主制は衆愚制になりやすい。これって今も通じる話。
ホッブス
- 1588年〜1679年
- 出身地:イギリス
- 得意技:社会契約論
そもそも国家に支配者がいるのはなぜか? ホッブスはみんなが争わないように支配者・国家を作り上げたとした。これが社会契約説。当時の人は神が王に権限を与えたとしていたので、けっこう衝撃的だったわけです。
原初に戻ると人間は争い殺しあうもの、という概念で人間を捉えていた。宗教戦争の真っ只中で、ホッブスがそう考えるのも仕方ないでしょうね。国家は個人の自由を放棄して手に入れる安全保障システムとした。リヴァイアサンが国家のイメージ。人間の破滅的な欲望を制限するため、人間はリヴァイアサン(国家、王)という仮想的な怪物を作り出し、その怪物を恐れ服従することで安定を手に入れたとします。
ルソー
- 1712年〜1778年
- 出身地:スイス
- 得意技:人民主権
ホッブスの人間観を否定。人間が自然状態に戻っても殺しあうことはない。真の権力者は王ではなく、民衆であるという人民主権を提唱した。ルソーは40代ニートでダメ人間だったが、ブレイクした遅咲きで言葉に力があった。言葉の天才ですね。
結局、ルソーの人民主権の考えが受けて、フランス革命が起きる土壌が生まれた。まぁそれによって不安定になり、ナポレオンが現れ、真の人民主権はまだ先の話になったけれど…。
アダム・スミス
- 1723年〜1790年
- 出身地:イギリス
- 得意技:見えざる手
経済学の父。それまでは商業蔑視があった。個人である商が力を持つと統治が不安定になる、農がなくなると生産性が上がらないとしたから。需要と供給は、神の見えざる手が調整するとしました。
マルクス
- 1818年〜1883年
- 出身地:ドイツ
- 得意技:共産主義
資本主義は資本家が労働者の搾取するシステムなので必ず破綻するとした。共産主義を提唱するが、幻想だったことがわかっている。マルクスの思想は現実に影響を与えた点では、最強ですね。
第3ラウンド 神様の真理
神に向き合うのは人類史にとって欠かせないテーマですね。
エピクロス
- 紀元前341年〜紀元前271年ごろ
- 出身地:ギリシャ
- 得意技:快楽主義
エピクロスは快楽主義と言われている。ただし一過性の快楽ではなく、自然で慎ましいもの。 神については、全知全能の神はいちいち人間なんか気にかけない。そもそも人間の側から神様を定義づけするのは罰当たりでしょ?だから人間は神様を気にかけなくていいと思うよ!という考え方だった。
他にもキュニコス派は世間的な幸せを放棄することで本当の幸せを手に入れようとした。何も所有しなければ何も奪われない。裸足でボロ布をきていた言われています。そしてストア派は禁欲主義。理性をしっかり保つことが幸福になる方法だと考えた。
イエス・キリスト
- 紀元前4年ごろ〜紀元後30年ごろ
- 出身地:パレスチナ
- 得意技:復活
ヘブライで暮らしてたユダヤ人は、古代エジプトの軍隊によって連れ去られた。神の試練であり、いつかはユダヤ人だけが救われる。排他的なところがあった。そこで現れたのがキリスト。彼はこう言った。「すべての隣人を愛せよ」。立派な言葉だが、ユダヤ人としては受け入れることはできない。結局イエスは十字架にはりつけられ、処刑されてしまう。弟子たちがキリストの教えを広めようと結束した。シンプルで誰でも受け入れられるキリスト教の誕生。キリストって、筋が通っているから、これほど支持されているんだろうなぁと。
アウグスティヌス
- 354年〜430年
- 出身地:アルジェリア
- 得意技:懺悔
キリスト教はカルト教だったが、信者だったコンスタンティヌスがローマ帝国の皇帝となり、大逆転! ローマ帝国での布教が認められ、国教としてそれ以外の宗教の布教を禁じました。だがそれによりキリスト教内で神学バトルが勃発。そこで勝利したのがアウグスティヌス。神は善なる存在。人間に悪が存在するように見えるのは善の不在にすぎない。人間に自由意志があるためそうなったとした。アウグスティヌスは懺悔して、自分の欲をさらけ出したことで多くの共感を得ました。
トマス・アクィナス
- 1225年〜1274年
- 出身地:イタリア
- 得意技:スコラ哲学
12世紀ごろにアリストテレスの著作がラテン語に翻訳されて、西洋のキリスト教圏に入ってきた。論理学によって信仰が危うくなった。
トマス・アクィナスは原因と結果という関係を超越した何かがある。理性を超えた存在がないと理解できないことがあるとした。哲学の世界があり、その上に神学の世界があると考えました。神学の希望の光。
ニーチェ
- 1844年〜1900年
- 出身地:ドイツ
- 得意技:超人思想
教会の腐敗によりルターが宗教改革を起こし、教会が内部分裂。カトリックとプロテスタントに分かれた。そこにニーチェがやってきて、「神は死んだ」とした。神は弱者によるルサンチマンが作り出したものに過ぎないとした。神への信仰が人間本来の生を押し殺しているとまで言った。
例えば金と権力を求めることを、是とした。そして弱者救済システムとして信仰や道徳が必要になった。ニーチェは超人思想を提唱した。力への意志に赴くまま、強くなることを目指す者のこと。この流れを見るとニーチェのすごさが伝わりますね。
第4ラウンド 存在の真理
存在の真理とは? 最終ラウンドは人間の根源的なテーマ。
ヘラクレイトス
- 紀元前6世紀〜紀元前5世紀
- 出身地:ギリシャ
- 得意技:万物流転説
万物は流れ去る。存在は形を変えて、別のものに変化し続けるとした。硬い石でも割れる、大地の一部になっていく。万物共有のルールをロゴスと名付けました。
パルメニデス
- 紀元前515年ごろ〜紀元前450年ごろ
- 出身地:ギリシャ
- 得意技:万物不変説
存在とは決して変化しない何かであるとした。存在するものは存在する。存在しないものは存在しない。リンゴをどんどん切り刻んでいくと、ただ小さくなるだけで消えて無くなることはない。存在は変化しないと考えました。
デモクリトス
- 紀元前460年ごろ〜紀元前370年
- 出身地:ギリシャ
- 得意技:原子論
万物流転説VS万物不変説に決着をつけた! 絶対に分割できない粒を原子と名付けた。その原子が結合したりすることで万物が変化するように見える。原子論を紀元前に考えることができたなんて、すごすぎませんか!?
ニュートン
- 1642年〜1727年
- 出身地:イギリス
- 得意技:ニュートン力学
中世時代は宗教を信じることで、民衆から書物が取り上げられ、古代から続いた教育を奪い去った。そこから科学の神様であるニュートンが活躍した。万有引力の法則により、遠心力と引力の丁度いい塩梅があることを見つけた。リンゴも月になり得る。天空の星々の運動を地上の物理法則で見事に説明した。ニュートンのすごさを初めて把握できた気がします。
バークリー
- 1685年〜1753年
- 出身地:アイルランド
- 得意技:主観的観念論
「存在するとは知覚されることである」。確固たる物質があるから存在しているのではなく、精神が知覚しているから存在しているとした。かなり反発を受けた。
フッサール
バークリーを代表するマトリックス的考えをバッサリ否定した。そんなこと証明不可能だから、考えるだけ無駄! フッサールはあらゆる確信は主観的な意識体験から始まるとした。この主観的な意識の上に起こるあらゆる体験を現象と名付け、ここからどのような人間の判断が生まれるか学問的に捉えようとして現象学という学問を創る。全て意識体験の観点から記述しなおすという壮大な試み。
ハイデガー
- 1889年〜1976年
- 出身地:ドイツ
- 得意技:存在論
そもそも存在するとはどういうことか? 根本的な問題について、これまでの哲学者たちは見逃していた。ハイデガーは、存在とは人間の中で生じるものと考えた。ここにきてこれまでの哲学者すべてを敵に回す発言! ハイデガー、強い!
ソシュール
- 1857年〜1913年
- 出身地:スイス
- 得意技: 記号論
「言語とは差異のシステムである」。言語とは何かを何かと区別するためにある。バラバラの形をした石があるが、人間はすべて石だとして言語で区別しようとしない。区別する価値がないから区別する必要がない。言語は区別の必要性から生まれる。 言語体系の違い=区別体系の違い。存在を考えていくと、言語にたどり着くのでありました。
哲学者たちをたどる旅
ざっくり要約してきましたが、いやはや哲学者たちの思考をたどる旅は気持ちよいです。哲学入門で真っ先にオススメしたい一冊。
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