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『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』難解なことをわかりやすく!入門書に最適な1冊

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『史上最強の哲学入門』の東洋哲学編です。

西洋哲学編は本当にすばらしくて感銘を受けましたが、東洋哲学編も最高でした。知的興奮がとまらない!

西洋哲学ほど体系立てられていないことを考えると、この東洋哲学編のほうがまとめるのは難易度が高いとも感じました。それを時代背景とともにスラスラと読んで理解できるように仕上げてくるあたり、さすがすぎます。

本書の内容から、東洋の哲人たちのすごさについて見ていきましょう!

西洋哲学編はこちら

東洋哲学はピラミッドである 

まずは東洋哲学とはなにか?について、西洋哲学と対比しながら迫っていきます。

西洋哲学は、階段になっているんですね。究極の真理に向かって、先人の考えを破壊して、より強い哲学へと上っていくイメージ。西洋哲学が「難しい!」と言っている人は、この階段の途中から学んでいるのが理由。
連続ドラマなのに、いきなり18話目を見て、「よくわからん…おもしろくない…」と言っているようなもの。

一方、東洋哲学は、「我は真理を知り得たり」「悟った」という人たちの言葉や考え方がまずはじめにあります。すでに悟った状態の人だらけ。その内容を解釈して、学問としてまとめ上げているわけです。

この違いはおもしろい視点。

「実際にその境地に達し体得して初めてわかるもの。言葉だけで学んでもホントウのところはわかりません」。まさに東洋哲学のとらえどころのなさを、しっかり説明してくれた気がします。

目次

ヤージュニャヴァルギヤ      

東洋哲学の最初の一滴は、インドからはじまります。

紀元前1500年頃、イランのアーリア人がインドへ侵攻して自分の国を作りました。アーリア人は、自然の畏敬の念があり、古代インドの神様が登場する代々口伝で継承されてきたのが聖典ヴェーダ」。

そしてアーリア人は、ヴァルナという階級社会を作りました。最高位をバラモン(祭司)として、インド社会を統治。後にバラモン教として教えが広がっていく。特権階級の彼らが暇人になって、小難しいことを考え始めたのが東洋哲学のはじまり。ヴェーダに哲学要素が加味された「ウパニシャッド(奥義書)」が生まれる。

東洋哲学のテーマは、「自己の探求」。当時インドで盛んに議論されていたため、討論大会も開かれていました。

梵我一如とは?

バラモンたちとの討論会で優勝したのが、ヤージュニャヴァルギヤです。彼の哲学は、「梵我一如(ぼんがいちじょ)」という言葉で知られています。

梵我一如とは、ブラフマン(梵 世界の根本原理)と、アートマン(我、自己、私)と同一であると知った人間は究極の心理に到達するという考え方。

私(アートマン)とは、私とは認識するものであって、認識されるものではない。では、私を認識するものはなにか?肩書ではないし、体でもないし、脳でもない。脳は私を認識しているということは認識していても、私ではない。どんどん東洋哲学な感じがしてきますね。

ヤージュニャヴァルキヤ最後の言葉を見てみると、そのヒントが見えてきます。

私については「に非ず、に非ず」としか言えない。それは捉えることができない、捉えようがないから。束縛されることもなく、動揺することもなく、害されることもない。ああ、どうやって認識するものを認識できるであろうか。

「◯◯ではない」ということは言えるのだから、すべて不幸ではないとも言える。こうしてヤージュニャヴァルキヤは「私」の本質を明らかにしていったのでした。

釈迦

ヤージュニャヴァルキヤの考えは、バラモンの考えを脅かすもので、自分たちで真理を考えることをムーブメントに。その流れに乗って登場したのが釈迦。

釈迦は、出家して苦行に励んだが「苦行に意味はない。むしろ苦行自体が、悟りを阻害している」と考えました。苦行している自分がすごい!という感覚が蔓延したため、本質ではないと考えて、釈迦は苦行から離れたんですね。

苦行を捨て、「中道」に歩むようになります。中道とは、悟りと苦行には因果関係はないという考え方。釈迦は、本来の目的「自己の本質」を理解するために、菩提樹の下で瞑想を続ける。静寂の中「無敵の境地」に到達し、不幸を克服しました。

悟りを得たあと

釈迦は「仏陀(目覚めた人)」と呼ばれます。最初の説法「初転法輪」で、「四諦(四つの真理)」と「八正道」を語ります。

  • 苦諦:「苦」という真理(人生は苦しみ)
  • 集諦:「苦の原因」という真理(苦しみの原因は、執着(欲))
  • 滅諦:「苦の滅」という真理(欲をなくせば、苦しみは滅する)
  • 道諦:「苦の滅を実現する道という真理」(苦しみが消えた境地への道がある)

なによりも大事なのが、「アートマン(私)は存在しない」という無我を主張したことにあります。ウパニシャッド哲学を否定。

意図的なもので、アートマンが概念化していることが、本来の教えにたどり着くことを阻害すると、釈迦は考えていました。だから強くアートマンは存在しないと主張したわけです。

仏教が大衆化していく

仏教は、バラモン教をしのいで、インド最大の大宗教へと発展していきます。

釈迦の死後、弟子たちは釈迦の言葉で経典をまとめようとしますが、釈迦の「真の意図」を推測することは困難を極めました。その結果、弟子たちの間で解釈の違いが起こり、対立が起きてしまいます。釈迦の死後100年後、仏教組織は真っ二つに割れてしまう。
根本分裂、すなわち大衆部、上座部に分かれたわけです。

  • 大衆部…今までは、戒律でダメだとされてきたけど、守るの大変だし、やってもいいよ。大乗仏教と名乗る
  • 上座部…いやいや戒律なんだから、こんなの許されない。大衆部から、小乗仏教といわれる

この分裂以降、仏教は果てしなく分裂を繰り返すことになります。最初の分裂を根本分裂と呼びます。

龍樹

大乗仏教 150~250年頃 「すべては空である」 
大乗仏教に指導者「龍樹(ナーガールジュナ)」が現れ、隆盛を極めていきます。

「縁起」という釈迦の哲学こそが仏教の要所であると考え、空の哲学として洗練させて、「般若経」という経典をまとめ上げました。

般若心経とは?

般若経」は、600巻以上もある経典で、この般若経をたった262文字に凝縮したのが、「般若心経」(作者は不明)です。

『観自在菩薩(かんじざいぼさつ)が深淵なる智慧の修行をしていた時、この世のあらゆる存在や現象が、空である(実体がない)ことを悟り、すべての苦悩から解放された』
→観自在菩薩は、大乗仏教が生み出した架空の仏様。大前提として、大乗仏教では仏陀(悟りにより目覚めた人)は釈迦一人だけだとは考えていないわけです。「釈迦以外の人間も何人も悟りを得た人がいたに違いない」と考えた。

「色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜくう)」は、物質には実体がない、実体がないということが物質があるという内容。

  • 色…目で見れたり触れたりできる、たしかにあると確信できるもの。物質のこと。
  • 空…「実体がない」ということを意味する言葉。

空の哲学とは?

「空の哲学」は縁起からつくられました。「縁起」とは、あらゆるものは、何らかの縁によって起こって生滅をし続けており、永遠不変のものとしては存在しないという解釈のこと。

龍樹は、この縁起により、「あらゆる物事、現象は、相互の関係性によって成り立っており、確固たる実体としてそこに存在しているわけではない」という「空の哲学」を作り出したのです。

あらためて「色即是空、空即是色」をまとめると…

「僕たちが『存在している』と認識しているものはすべて、僕たち自身がそういうふうに存在するように『区別』しているからこそ、そういうふうに存在しているのであり、決して『そういうもの(実体)があるから存在している』のではない」

ということになります。

般若心経の真骨頂へ

そして般若心経はここからうねりを上げて変化していきます。

「空」から「無」へ主張を転換し、現実に明らかに存在しているはずの主観的な意識体験が「無い」と言い切ります。悟りもない、四諦・八正道もない、明らかに仏教の否定にまで話が及んでいきます。

なぜ無いと言い切るのか?釈迦が本当に伝えようとしたことが台無しになるという危機感が、龍樹のなかにあったからなんですね。

智慧の修行」をすることで悟りへ至るということを、主張します。物事を理解にするには2つ。

  • 分別智(ふんべつち)…区別の体系によって物事を把握する
  • 無分別智(むふんべつち)…分別することなく物事を直感的に理解する

この無分別智という状態が必要というわけです。無分別智で実践するには…理屈ではダメ、論理ではダメ、説得ではダメ。有効な言葉があるとしたらそれは呪文だというわけです。

「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい」で般若心経が締めくくられるのには、こういう理由あるのです。真理の知識を得ることと、真理を知ることはまったく別物。

そしてインド仏教の終焉していきます。インド仏教は大衆化しようとするものの、すでに浸透していたヒンドゥー教の劣化版となり終焉。仏教は東へ!

中国哲学 タオの真理

古代中国の歴史から。堯、舜、禹の時代は、敵は大自然であり、みんなをまとめられる人が王になっていました。

そして夏王朝、殷王朝では、世襲制度になり、国家が崩壊…。周王朝では、世襲制度を維持しながらも、封建制度でそれぞれの土地を治めてもらうことにしました。そこから春秋戦国時代へ。諸子百家の華が開きます。

孔子

孔子の思想はそれほど複雑ではなく、仁と礼に集約されます。

  • 仁…家族と接してるときに自然とあふれでてくるような人を思いやる気持ち
  • 礼…その仁を態度として表す礼儀作法

かなり当たり前なことを言っていただけなのですが、時代背景を考えると、孔子の思想がなぜ現代にも受け継がれているのか、その理由が見えてきます。

孔子は、堯、舜、禹の時代に立ち返るべきだと主張していました。適した人が統治すべき。また弱肉強食の時代に、仁と礼こそが大事と言っていました。
これは当時の権力者にとっては都合が悪かった。

孔子は不遇な時代を生きましたが、「心意気」があったからこそ、孔子の意志を受け継ぐ人たちが現れたのです。

墨子

墨子は、当時の思想界を儒家と二分した墨家の始祖です。

主張したのは、自分を愛するかのように他人を愛しなさいという兼愛。孔子の仁は、家族への愛情のみで偏っていると考えて、より博愛主義的な考えを持っていました。

墨子に賛同する集団は、墨家といわれ、戦争反対を唱え、戦争を止めない国を相手に戦ったと言います。めちゃ行動派!弱小国の助太刀を行っていたそうです。

孟子

孟子は、孔子の後継者のなかでも最も偉大と言われた人物で、性善説を唱えました。

性善説とは「人は生まれながら善(仁)の心を持っている」とする考え方。井戸に落ちそうな子供を見たら、助けなきゃと人は思うでしょ?だから、人には善があるというわけ。

ではなぜ戦乱の世になるのか?孟子は「それは人を使う側の問題。支配する側が仁の政治を行わないから」と断言しました。

孟子性善説を唱えたのは、権力が無能だと突きつけるため。

孟子は、人民が最も重要だと考えていました。その次に土地と穀物の神、君主は軽い存在だと。紀元前300年ごろに、人民主義を訴えていたというのは驚きです。

荀子

荀子は、孔子の弟子で、孔子の「礼(=思いやりを形にした礼儀作法)」を完成させた人物として知られています。  

当時の中国の人々「天人相関思想」=天が人間の行いに対して感応して禍福をもたらすと信じていました。悪政を行えば、地震や暴風雨が起こると思われていたんですね。

荀子は、天と政治は関係ない、ダメな政治をしたから不幸になるんだよ、と主張しました。ド正論。

さらに孟子性善説に、行動への具体性がないとして、性悪説を唱えました。人間なんてほっておいたら、悪行ばかりを行うもの。教育によって礼儀、ルールや規範を学ぶ必要があり、責任をもって政治すべきというわけです。

あらためて確認すると、礼とは「分をわきまえること」。

孔子の礼を、法律という言葉に置き換える存在が「法家」で、躍進していきます。

韓非子

韓非子は、荀子の弟子です。礼を学び、法家へと鞍替えしました。
吃音症だが書く才能があり、韓非子の書が敵国「秦の国」へ渡った時、政王は「この本の著者に会えるなら、死んでも悔いはない」と言ったそうです。

政王は、韓非子を得るために宣戦布告し、韓の王は韓非子を秦の国に差し出しました。サクセスストーリーかと思いきや、韓非子は秦でも重用されることはありませんでした。理由は、事あるごとに、母国である韓の国を攻めさせないよう進言したから。

荀子のもとで共に学んだ秦の宰相「李斯」は、韓非子を獄中に追放し、服毒自殺に追い込んでしまいます。

天才・韓非子の死後、「韓非子」の名の書物は、秦の政治の教科書として残り続けます。政策を実施した秦は強国になったことで、注目度が高まったというわけです。

韓非子」の内容は、「王を中心とした強い国家を作るための政策をまとめた書」となり、国家の基盤には仁という感情的なあいまいなものではなく、「法」を中心にすえることが主張されています。法とは=刑罰によって強制すること。

具体的な方法として、「形名参同」(言葉と事実を一致させること)であり、成果主義を取り入れることになります。

老子

まずは、中国と仏教について。仏教の輪回転生について、ゴールは解脱となります。輪廻の無限ループから離脱。しかし、中国の民族性は、「苦は楽にかえてみよう!」というマインド。輪廻転生できるのラッキー!と思うんですね。

老子はかなりすごい人物ですが、謎が多く、それほど後世に自分の考えを残す意識が低かったようです。

老子の考えを知るには、「道(タオ)」を理解する必要があります。「道(タオ)」は、天地よりも先に存在した混沌としたもの。万物は、その「道(タオ)」から生まれたとします。

名前がない状態=まだ万物が生み出されていない状態=混沌=道(タオ)。

老子は、現世利益に否定的。虚無的。深遠な哲学体系で、釈迦と老子はそっくり。老子の哲学から、道家という学派が生まれたのです。

「学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、もって無為に至る。無為にして為さざるはなし」

これは無為自然といって、「あなた自身が、何もしなくても、物事は勝手に起こるよ!」という解釈です。

荘士

荘士は、老子の後継者で、しかし老子は弟子を育てなかったんですね。

荘士は、老子の哲学を言葉で表現。楽しみながらノリノリで書いていたのが、わかりやすさにつながっています。

本来、世界には境界などなく、「物(僕たちにとっての存在)」もない。それが最高の境地であり、道(タオ)である。言葉を持ち込むことで境界が生まれるんですね。

寓話の「胡蝶の夢」で、紹介されています。

かつて荘士は、夢の中で蝶となりひらひらと舞っており、荘士であることを忘れていた。ふと目が覚めると、紛れもなく自分は荘士であった。果たして、荘士が夢の中で蝶となったのだろうか?それとも、蝶が夢の中で荘士になったのだろうか?

ここから導き出されるのは、何が現実なのかわからないのだから、人間だ、蝶だ、と外形にこだわらなくてもよい!という結論です。

荘士は、東洋哲学の最大の表現者。「境界、区別、言葉、物がない」ということを伝えました。

日本哲学 禅の真理

ここで、ついに日本の仏教話へ。

日本に仏教が伝来したとき、物部氏蘇我氏の対立を呼びました。そして、仏教推進派の蘇我氏が勝利。

その後、聖徳太子が17条憲法で、仏教を敬いなさいとさらに推進していきました。

「世間虚仮 唯仏是真(せけんこけ ゆいぶつぜしん)」
自分たちにとっての世界は虚像である。しかし唯一、仏(悟り)だけが真である。

仏教の真髄を表している言葉。聖徳太子から、日本の東洋哲学がはじまったと言えるのです。

そして、最澄天台宗空海真言宗を開き、空海密教を持ち帰り、貴族たちに大ヒット。最澄密教を取り入れていきます。しかし、呪術者としての色合いが強く、哲学の実践から離れていってしまいます。

このままではいけない!改革派の法然親鸞、保守派の栄西道元が、立ち上がりました。

江戸時代は徳川の巧みさが出ていて、布教や新宗派設立の禁止しながら、一方ですべての日本人がどこかの寺に属することの義務付け(寺請制度)をします。

檀家になることが義務付けられたため、戸籍管理できます。旅行や引越しは、役所ではなく、寺で手続きをしていたんですね。幕府は国費を使わない。だけど、寺にとってもメリットがあって、信者獲得になり、葬儀を取り仕切っていれば収入があったそうです。徳川のすごさでもあり、外来の宗教が入ってくるのも封じたわけです。

ただし、これは仏教の骨抜きを意味します。葬式仏教になり、時代に合った哲学体系を作り出す努力をしなくなっていきました。

親鸞

親鸞は、浄土真宗の開祖。無分別地は、いま目の前の苦しんでる人に対して有効なのか?と疑問を抱き、法然の元へ訪れ、「念仏」という画期的な仏教哲学を知ります。

念仏は深い瞑想に入って、仏の姿をありありと思い浮かべること。それを法然は、南無阿弥陀仏と唱えること、とシンプル化しました。大切なのは結果。理屈はどうでもいい。

悪人往生

親鸞といえば、悪人往生。善人だと自分で思ってる人は、自力で物心が解決できると思い込む傾向があり、他力の気持ちを持っていないからダメ。悪人だと自分で思っている人は、善人よりも他力の境地になりやすいわけです。どうしようもない、やりたくてやってるわけじゃないと思うからこそ、他力になれるのです。

栄西

栄西は、臨済宗の開祖。公案により悟りの境地にいたろうとしました。公案とは、なぞなぞのこと。どのような問題も思考によって解決できる、その思考こそ自分自身という思い込みがあるというわけです。

「喝!」と叫ぶのは、相手をびっくりさせて、思考停止にするため。公案も答えを求めるわけではない。思考を他者として見る体験をして理解するわけです。

道元

道元は、曹洞宗の開祖。只管打坐、ひたすら坐禅に打ち込むことを推奨しました。問題を破壊し飛び越えるわけです。

東洋哲学すげぇ

東洋哲学の旅。この1冊で味わえるのは貴重な体験です。考えるな、感じろ。そして日本人にも合う思想だなとあらためて感じることができます。

東洋哲学を学びたいなら、ぜひおすすめです!

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