『夫の家庭を壊すまで』の最終回、最後に置かれたフォークの意味が引っかかって仕方ありません。復讐が終わったはずなのに、終わっていない気配がある。この回について感じたことと、あの演出の意味を考えていきます。
ドラマ『夫の家庭を壊すまで』最終回あらすじ
長く続いた復讐に、ひとつの区切りがつく回です。それぞれが新しい場所へ向かおうとするなか、最後にある小道具が印象的に映され、余韻を残して終わります。
【感想】「復讐が終わった後」を描いた勇気
普通の復讐劇なら、報いを受けさせた時点で終わります。視聴者が一番すっきりするところですから。
この作品は、そこから先を見せる。復讐を果たした人間に、何が残るのか。ここに踏み込んだことで、単なる勧善懲悪から一段抜けた作品になっていると思います。
松本まりかの「笑顔のまま怖い」
最終回でも、みのりは大きく取り乱しません。穏やかな表情のまま、内容だけが冷たい。
この芝居が最後まで崩れないから、復讐が達成されても彼女が救われていないことが伝わるんですよね。
【考察】フォークが意味するもの
私は、最後のフォークは「まだ終わっていない」という宣言だと考えています。理由が2つあります。
理由①食卓は復讐の舞台だった
この作品では、食事の場面が繰り返し重要な意味を持ってきました。家庭の象徴であり、同時に仕掛けの場でもあった。
その食卓に使われる道具が、わざわざ最後に強調される。穏やかな日常の小道具が、この作品では武器として機能してきたわけですよね。だから不穏に見えるんです。
理由②復讐は循環するという主題
もうひとつ、この作品は一貫して「やり返しても終わらない」ことを描いてきました。被害者が加害者になり、また次の被害者が生まれる。
その主題を最後に一枚の絵で示すとしたら、次の食卓の準備が整っている画ほど適切なものはありません。誰が次の席につくのかは示されない。そこが怖いところです。
【考察】この結末は「幸せ」だったのか
表面上、みのりは望んだものを手に入れています。それでも幸せそうには見えない。
復讐は、失ったものを取り戻す行為ではありません。相手から奪うだけで、自分の側には何も戻ってこない。勝っても埋まらないということを、この最終回は静かに示しているのだと思います。皆さんはどう受け取ったでしょうか。
ドラマ『夫の家庭を壊すまで』最終回登場人物
- 如月みのり(松本まりか):専業主婦。
- 如月勇大(竹財輝之助):みのりの夫。実は二重生活をしている。
- 三宅理子(野波麻帆):美容師。勇大と同じ高校の同級生。
- 三宅渉(野村康太):高校三年生。
- 如月裕美(麻生祐未):勇大の母親。
ドラマ『夫の家庭を壊すまで』最終回スタッフ・主題歌
- 原作:赤石真菜「夫の家庭を壊すまで」
- 脚本:岸本鮎佳 加藤綾子
- 監督:上田迅(ザ・ワークス) 室井岳人 吉田大蔵
- 音楽:岡出莉菜
- 主題歌:ざきのすけ。/「down under」
- チーフプロデューサー:大和健太郎(テレビ東京)
最終回は「終わらなさ」を残した
というわけで、『夫の家庭を壊すまで』最終回の感想と考察でした。すっきり終わらないぶん、後に残るものが大きい作品だったと思います。
